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未来への時間軸

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(写真) Fukushima 1 Nuclear Power Plant_47

小泉元首相の原発ゼロに反論―安倍首相「責任ある政策を」- WSJ.com
小泉元首相の原発ゼロに反論―安倍首相「責任ある政策を」 - WSJ

SmartNews のトップに表示されて「またこの話か」とウンザリしつつも、ふと、内閣総理大臣経験者二方が言及するところの「責任」とは何ぞや、とも思いましたので、このエントリーをポスト。

要は「時間軸の採り方」なんだろう、と。

任期 2期 (あるいは 3期) 6年 というスパンで見れば、代替技術が確立されていない現状において、国家の安全保障にかかわるエネルギー政策をおいそれとは変えられない。そんなリスクは取れない。というコトになるのでしょう。

確かに一理あり、民主主義国家の一宰相としての「正しさらしさ」は高い、とは思います。

しかし、せいぜい 6年度程度の時間軸で語る「責任」は、未来を生きる予定の者にとっては短すぎて責任論の俎上にも載せられません。まるで「物語」の如くの「空虚さ」です。

個人的には「汚染水への対処」も、「原子力発電所の天変地異への備え」も、日本人の英知・英智・叡知・叡知を結集すれば、必ず克服できるはず。罵り合うのではなく「知」を尽くせ。と、各種報道を観て、いつも思っています。

しかし、あらゆる「知」を集めたとしても、核廃棄物だけは処理できない以上、当該物質の「処理」ないしは「未排出炉心」などの技術が「安全に」確立されない限り、原子力発電所の推進は、少なくとも 6年を超える時の流れの中では、「未来に責任ある政策」とは言えません。

実は、今回この報道に触れて、敢えて言及したいと強く思い立ったのは、こと原発だけではなく、総じて「政治家の視点」が短期的過ぎる。「未来を語れない」点が目に余る。と、以前から思っていたからでした。

ハシモトデフレ。年金制度の破綻。アジア通貨危機リーマンショックなどの世界的な経済危機。90年台のバブル崩壊以降の厳しい経済環境の中、日本国民はツラい時代を過ごしてきましたが、しかし、その生産は「先進国」の銘に相応しい実績を残し続けています。

世界開発指標 - Google Public Data Explorer -

私たちは「発展途上国」ではありません。「塗炭の苦しみ」と表現されるような、底辺に位置する国では最早ないのです。通貨安を誇るのではなく、通貨高でも平然と経済活動を継続できる「強さ」こそ、我が国に相応しい「あるべき姿」とは思いませんか?

そうした目標へ向けて、私たちに不足しているのは「未来へのビジョン」であり、近代経済学が指し示すところの「需要」すなわち「人口 (子孫)」なのです。

基本内容 - 経済を良くするって、どうすれば

確かに、姨捨山の概念を越えた我々は、2020年以降に急増するであろう「団塊の世代の医療費」に備えなければなりません。故に消費増税である、というコトは理解できます。

しかし、悠久の時の流れにおいては、日本社会に大きな影響を及ぼした「団塊の世代」すら過去の遺物であって、その老後のケアも一時的な現象でしかありません。

彼らが全て亡くなった後の「日本国の姿」は一体どうなっているのでしょうか?

仮に「団塊の世代」が 80歳前後で亡くなられた場合のピークは 2030年となりますが、この年成人を迎えるのは 2010年生まれの子供たちとなります。現在は 2013年ですから、彼らは既に 3歳ですね。つまり、人口政策とは、こういうコトなのです。

どんなに早く始めても遅すぎるコトは絶対にない。

農村風景が広がる社会の中で、主に労働力として子供が増えていた時代とは異なり、グローバル時代における人口政策では、高度成長期とは異なる「知」の着想を必要とするでしょう。しかし、「先が無い」が故に「刹那的な発想しかできない」大多数の世代に支えられている、という「構造問題」を抱えた政治家には恐らく到達すら叶わない課題でしょう。

内閣総理大臣でもなく。自民党総裁選でもなく。衆議院議員ですらない。まったくシガラミの無い一政治家である「小泉 純一郎」と、前述全てが該当する「安倍 晋三」。果たして、この差は未来の日本国の繁栄を約束するのでしょうか。

お若い方には真剣に考えて欲しい、と思います。正しい道を。正しいリーダー像を。原発問題は、その示唆と成り得る事象のように思えるのです。

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