大切なのは、市民が使い倒せる施設でしょうに
photo by 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia
上記画像を見て最初に思ったコトは、マクロスの重力制御装置でも開発されない限り無理じゃないか、と (爆)。
それにしましても、天然芝であろうトラックに人を入れちゃうとは、これがスポーツ施設なんて、とても思えません。何のためにオリンピックなのでしょうか。
何を基準に『高い』と言うんだね。皆、『高い、高い』と言うけれど」
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これは、私だけの感覚かも知れませんが、「高い・安い」というより、市民が使い倒せない施設であるコトに、とっても違和感を覚えますし、そもそも論として、デザインコンペの条件1,300億円にまず驚きました。
また、公金を投入するプロジェクトにもかかわらず議事録の開示も無く、言った言わないレベルの記者会見しかできない、というのも、いかがなものか?と存じます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150716-00050169-yom-soci&utm_content=buffere9c5c&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=bufferheadlines.yahoo.co.jp
実は、オリンピックやラグビー云々は、さほど考慮すべき要素ではありません。
むしろ、これら一過性のイベントが終わった後、対象となる施設が市民生活にどれだけ溶け込めるか、どれだけ市民に活用してもらえるか、その視点の欠如が最大の問題なのです。
例えば、キールアーチ。市民が使い倒せない筆頭構造物です。
その建造費には諸説ありますが、いずれにせよ国費を投入するコトには違いがありません。
これが無いと騒音のためコンサートが開けない、というコトですが、そもそも論として、なぜ国立の競技場で文化イベントを開催しなければならないのか理解に苦しみます。
競技場はスポーツを行なう施設です。
東京には、音楽の祭典の場はゴマンと有る訳ですから、競技場としての本来的な機能に絞ってその建設は立案されるべきです。
にもかかわらず、あれもこれも仕様に欲をかいてプロジェクトを半ば頓挫させた挙句、公衆の面前での責任転嫁の応酬ですから、これはもう
デスマーチです。デスマーチですよこれは。
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私は、旧国立競技場と同程度の競技場で十分だと考えています。
世界に向けてイヴェントを発信する、21世紀型オリンピックの新しいフォーマットを、ここ東京でつくりあげる
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必要もありません。
そんなハード (≒ 箱物) よりも、ソフト (≒ 人財) に力を入れるべきです。
超高齢化社会の到来によって、国民の健康は、国家の一大事となりました。
だれもが気軽に参加できるスポーツイベントを、それこそ日常的に開催可能な企画・実現能力を国立の競技場は保持すべきですし、また、そうしたノウハウを東京から地方に移転できてこそ、「国立」の意義があります。
それこそ「地方創世」にも貢献できるのではありませんか?> 自民党の皆さん
もう一度、基本に立ち返り、コンパクトな五輪。市民生活に溶け込む五輪。
そのために使い倒せる施設。
そして、2,000億という貴重なお金を「人」のために大切に使う。
そんなメッセージがガンガン伝わってくるようなプランニングに期待します。
P.S. このオチに大爆笑www
ラグビー関係者も頭を抱えているそうですが、身体を張って相手の暴走を止めるスポーツをやってきたんじゃなかったですか
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