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最初から「これ!」と、決め打ちしてしまうのは却って危険でしょう


photo by Jason A. Howie

 

人間ドックのような健診でがんが発見されることが、果たしていいことなのだろうか biz-journal.jp

こと「癌」という病気の取り扱いは、

  • 体のどの部分に発生したか
  • 老若男女のいずれか
  • 基礎体力は有るや否や
  • 既往歴や既存症の影響

などなど、治療に当たって考慮すべき点は数多く、患者さんの現状によってケースバイケースですから、最初から「これ!」と、決め打ちしてしまうのは却って危険だろう、と考えます。

癌を確実に根治する手段が無い以上、早期に発見して小さい内に早く治療したいというお医者さまのお気持ちも分かりますし、さりとて、頻繁なレントゲンなどの過度な放射線使用によって癌細胞を発生、あるいは拡大させても本末転倒です。

つまりは、バランスなのでしょう。

頻繁なドック。無理な術式。薬品への偏重。はたまた、ガン発生の切っ掛けであろう偏った食事内容や、粉塵などの生活/職場環境、などなど、本来、自然の中を生きるヒトであるコトを無視し、均衡を崩し続ける行為そのものを見直すコトが大事です。

 

それに、よくよく考えてみれば、癌細胞もまた自身の一部なのです。

何の因果か、母体をキズ付けてしまう運命を背負ってしまいましたが、元々は自分を構成する細胞の一つだった訳ですから、罹患してしまった以上は無理に引き剥がそうとせず、共存や非活性化してもらう穏便な方向性や視点が、とても大切です。

そういう意味では、食事療法や化学療法などなど、癌も含めた身体の現状を維持しながら、それを補う処置、つまり、内科的な保存療法の考え方が非常に一番シックリします。

昨今は、週刊誌などに紹介記事が多く、一般的な認知において術式に対する感情的敷居は低くなっているように感じますが、やはり「体を切る」という行為は、人間が自然な状態で在るコトへの現状変更であり、正に一大事、というコトを忘れてはイケません。

なので、よほど症状が進行していなければ、あるいは、それ以外に生存の可能性が皆無でなければ、手術という手段は可能な限り避けるべきでしょうし、パトレイバーの後藤さんの弁ではありませんが、やっぱり「荒事は最後の最後」といったところではないでしょうか。

 

ここのところ、著名人の癌告知が続いているので、ネット上にも沢山の記事が投稿されておりますが、多くの著者は、自身あるいは地縁血縁における罹患経験があまり無いんじゃないか?と疑いたくなるような、いささか極論めいた論調ばかりで首を傾げたくなります。

いずれ詳しく語れる機会が私にもやってくるでしょうが、根治する手段を人類が持ち得ていない以上、多くの患者さんによって癌は不治の病であり、死と向き合うコトは自分自身と向き合うコトでもあり、それはそれは、とても辛いコトなのです。

メディア的には白黒バッサリ切れる記事の方が一般ウケは良いかも知れませんし、「ほらぁ、やっぱりダメだった」と患者さんの選択を後出しジャンケン的に指摘するコトは簡単ですが、病気の性質上、もう少し患者さんの気持ちに寄り添って、後悔を残さず少しでも満足できるような、さまざまな可能性を提示できるような内容を心掛けていただければ、イイなぁ、と最近よく思います。

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