GODZILLA 怪獣惑星、観たけど...
製作会社も同一という先入観も在ったコトと、導入は完全に「シドニアの騎士」状態だったので、まぁ「多数の犠牲者を出しつつも、どんでん返しに次ぐどんでん返しの末、最後には GodZilla をヤッつけました」という結末かな、と思って観ておりましたら、(´ε`;)ウーン… な結末に (以下、ネタバレ有り
過度なネタバレになってもイケませんので、程々の記述に抑制して、以下に感想を述べさせていただきます。
無理して怪獣全部を出さなくてもイイのに...
メカゴジラ、キングギドラ、モスラ、どれも描写が中途半端だったかな、と。
キングギドラは「まぁまぁ」だったものの、モスラは影だけ、メカゴジラに至っては只の要塞に成り下がってしまって、怪獣映画なのに肝心の怪獣が暴れ回る姿が見れない、というのが何とも残念な感じ。
個人的には、冒頭チラ登場したメカゴジラが大暴れする姿を観たかったです。
なので、「メカゴジラがゴジラを倒したものの、今度はメカゴジラが暴走し始めてしまって、わぁどーしよー、イイもん拾った (宇宙放浪中、とある惑星で発見した) と思ったのにダメダメじゃん、と後悔していたら、まさかのゴジラ復活。でも、ゴジラも暴走しちゃってて、絶賛暴走チュウの両モンスターが生き残った人類全員を巻き込んで相打ち、ジ・エンド」と、救われないオチかも知れないけど、怪獣映画としての爽快感はあったかな? と。
だから、シドニアのヘイグス粒子みたいに、恒星間航行を可能としてしまう科学技術の急進が怪獣出現の原因となったとして、エクシフ (≒ キングギドラ) も、ビルサルドも、要らなかったかな。
フツアも要らなかったかなぁ...
フツアを「怪獣を生み出す原因となった人類の醜悪さ」を強調する対比としたかったんだろうけど、シドニアも徹底して他の生命体を出さず、両知的生命体間の抗争に徹底して終末感を演出していたので、その方向性の中でも人類の醜悪さは描けただろうし、モスラがフツアの神さま、と急に言われても、少し中途半端だったかな? と。
もし、モスラを神とするなら、ガルガンティアみたいに、怪獣を神と崇めた一派が地球脱出を拒み環境適応の末、フツアとなり、2万年間もの永きに渡りゴジラと一進一退の抗争を続けていた、と。
で、上述のように宇宙放浪中、とある惑星でメカゴジラを発掘して意気揚々と帰還した人類に「今さら何? もらいらも敵認定」とか言って、メカゴジラ (アラトラム号) & ゴジラ & モスラ (フツア) の三つ巴対決の果てに、フツアの巫女だけ生き残ってジ・エンド、だったら納得したw
で、結局、生き残った人類はどうなっちゃったの?
杉田のお節介が原因で本人の責ではなかったとはいえ、孕ました新庄あかねを置いて、カミナギと一緒に刹那いきなし特攻とか、どうもイマイチ。
最後、フツアの儀式で物語は終了するけど、その際、杉田以下の生き残った人類の姿が見えず、多分ヴァルチャー喪失ショックで狂っちゃったのかも知れないけど、であれば、少々醜悪な結末になってしまうものの、そこはもう少し描いて欲しかったかな? と。
物語へ惹き込まれる要素は沢山在ったけど、少し欲張り杉ちゃって、全体的に消化不良気味だった、と思います。
なので、製作各位におかれましては、シドニア 3期で、ぜひリカバってくださいw