you know something?

Use it for myself.

呪いのような機体を駆る若者の、あの忌まわしき物語を、我々は、薄汚れた五輪が開催される、この 2020年に、映像として目撃するのだ。何と言う未来だろうか。

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閃光のハサウェイ」の予告編を観て、ふとフル・フロンタルの台詞を思い出した。

同じ光を私も見た。もっと大きな光をだ。サイコフレームを媒介に恐らくは地球圏の全人類の無意識を集積、物理的パワーに転嫁したのであろう光。小惑星アクシズを押し返したサイコフィールド。だが、それほどの可能性が示されても人は変わらなかった。現状を維持するためなら可能性さえ葬る。それが人間だ。我々はその現実の中で平和と安定を模索してゆくしかない。君が言う可能性という奴は争いを引き起こす毒になるコトもあると自覚したほうがいい。

 

彼のグレタ嬢に感じる違和感はコレだな、と。

それでも、と、可能性を信じ続けたバナージは「覚醒したサイコフレームの守り人」として世間とは隔絶した生涯を終える未来が描かれた。

逼迫する環境問題を前にして、若者の滾る想いは分からんでもないが、フル・フロンタルのような「ヒトの総意の器」たらんとする覚悟も無く盛ってみても、結局のところ、フル・フロンタルが言うところの「可能性さえ葬る世界」から黙殺されるだけ。

 

逆シャアアムロも言ってた。

そんなことじゃあ、ハサウェイだって死人に引っ張られるぞ

そして、事実、その通りになった。

 

アムロ・レイに端を発した「ガンダムタイプ」即ち「双眼のモビルスーツ」は「あらゆる願いを叶える万能の願望機」ではなく「生者を死地へと誘う死神の如き物」でしかないのかも知れない。

そんな呪いのような機体を駆る若者の、あの忌まわしき物語を、我々は、薄汚れた五輪が開催される、この 2020年に、映像として、目撃するのだ。

何と言う未来だろうか。

 

ハサウェイ・ノアの魂に安らぎの有らんコトを。

そして、ガンダムを駆った若者たちの必然を幾度も見送り、その最後の見届けが息子の死だった、ブライト・ノアに平穏が訪れんコトを。

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