#9月入学本当に今ですか? のハッシュタグを新聞で見掛けたのだが、正直、入学式を終えてしまった以上、「9月入学」の件は機会を逸したと考えている。
それに、仮に「9月入学」を導入できたところで 12月辺りに 第2波 が来れば同じコトの繰り返しだし、同月入学を採用している各国の何れも学校対応に苦慮している 以上、もはや入学月の設定に議論を費やしていても無駄だろう。
「情熱大陸」で特集された研究者の先生曰く
パンデミックに遭遇するのは、一生に一回有るか無いか、と言われていたのに、SARS → 新型インフルエンザ → コロナウイルスと、もう 3回目ですよ。
との言の通り、パンデミックは残すところ 80年の 21世紀中に何度も襲来する。
ならば、そうした事象下における手法を実験・実践できる今だからこそ、広範囲に及ぶ流行病に即応可能な学習環境の整備 に取り組むべきで、議論のリソースはそこへ集中されるべきなのだ。
もう、何月に入学するか否かで喧々囂々しているヒマなど、我々人類には無い。
では、コロナ禍で如何に学習機会を確保するか。
最早、これまでのような 一斉一律の学習 に拘っている場合ではない。
その観点から鑑みれば、義務教育の段階から 単位制 を導入すべきだろう。
学期開始前に教諭が撮り貯めたオンライン動画と、こまめなオンラインテストを駆使して、少ない時間で修了できる児童・生徒にはドンドン進級 → 卒業 → 進学してもらえば良い。
また、学校に登校するのは、集団学習が必要なケース(体育、音楽、児童/生徒会活動、等々)に限定すれば、感染機会の低減にも繋がる。
欧米各国に在るようような 飛び級 ほどのドラスティックな改革よりは、同年代と過ごす環境を維持しつつも、優秀な児童/生徒には早期の進学や社会参加への道を開き、不優秀な児童/生徒には何年でも学校が寄り添う、という仕組みの方が 機会の平等 & 結果の不平等 の原則に沿う形で宜しい、と考えるが如何だろうか。
しかし、この手法も大きな抵抗を伴なうだろう。
まずは、「自身の子供に信頼を置けない」親業に挫折 or 失敗していまった親御さんによる感情的な反感や、児童/生徒に無理を強いるケース。
そして、「授業という名のプレゼン」の品質差による教師淘汰の可能性。
親業も、教員業も、これまでは競争環境に晒されるコトなく、凡庸として過ごせて来るコトが出来た領域だからこそ、その抵抗は苛烈になるものと想定していた方が良いだろう。
こうした抵抗勢力による反抗を如何に緩和しつつ、シン時代の「学校」という「環境づくり」を実践できるか。
新たな感性を持つ、強力なローカルリーダーの顕現が、この論旨の要諦でもあると言えるのだが、さぁて、新時代のキリストの登場は期待できるかな?